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Wednesday, September 29, 2010

『本日は、お日柄もよく』 原田マハ

この人の作品は初読み。

普通のOLをやっている「こと葉」が幼なじみの結婚式で素晴らしいスピーチと出会う。伝説のスピーチライターと呼ばれる久遠久美。
言葉の持つ強さに感動して、彼女の元へ弟子入りする。
そして、自分が選挙演説のスピーチライターとして仕事をすることになるの。
こと葉の成長小説でもあり、ライバルも出現しての戦い小説でもあり、ロマンスも笑いもあり。
根底に流れるのは「言葉」の力である。
ボクの好きな要素が丸ごと入っているにもかかわらず、どうも入り込めない。
その一番の原因は、登場する政治家(目指す人も含めて)の言葉が、まっとうで感動にあふれていればいるほど、気持ちが離れてしまうのだ。
現実の世界では、政治家がかかげる当初の理想(言葉)とその後の現実があまりにも乖離しすぎて、どんな美辞麗句も結果的に(嘘をつくつもりはなくても)実現できないことをたくさん目の当たりにしているから。
あれだけ期待した民○党も、政権交代して与党になったとたん、あのていたらく。
「国民目線」、「みなさまのため」、選挙期間中はいやというほど聞かされたよなあ。
で、この小説に出てくる民衆党(こと葉が協力する政党)も同じように、政権交代を目指して「国民目線」「まっすぐ」をスピーチに盛り込むんだけど、どうしても現実で結果を知っている身では感動できないよ。
作家の責任ではないかもしれないが、この題材はあまりに現実(選挙運動中のオバマも触れている)が近すぎて、ボクの中では言葉も上滑り気味なのだ。

Sunday, September 26, 2010

映画『瞳の奥の秘密』

本年度アカデミー賞外国語映画賞を受賞した作品。
まず最初に、面白いです。見て損はないです。

25年前に起きた殺人事件を小説にしようとする男が、当時の上司だった女性の元を尋ねてくる。
彼と彼女は、判事として当時その事件を担当していたのだが、物語が進むにつれて、事件が解決していなかったことが観客にもわかってくる。
現在の彼らのやりとりと、25年前の事件当時の物語が交互に進行して行く。
二人とも若い時と年老いた時の姿が自然で違和感がない、演技も達者だね。
特に彼女(ソレダ・ビジャメル)は倍賞美津子似の綺麗な女優。
若い時の溌剌とした感じも、現在の落ち着いた感じもとてもうまいなあ。

あちこちに伏線が張られ、それらが次第につながっていくのだが、ちゃんと観客にも途中で違和感を覚えるような描き方をしている。
なにしろ構成が巧みなのだ。
主要な登場人物は多くないので、ストーリーもわかりやすい。
それぞれが瞳の奥でなにを思っているのか、というのがポイントですね。
タイトル通り。
アルゼンチン映画、なかなかやるな。

1年ぶりに手をつけました

本家のボクのサイトの扉絵をちょい修正。
まあぼちぼちとね。

Saturday, September 25, 2010

『あんじゅう』宮部みゆき

『おそろし』から待ちに待った第2作の登場である。
『三島屋変調百物語』と副題がつけられたこのシリーズ、宮部みゆきは本当に百の物語を書くつもりらしい。
ボクは最近の宮部作品の中では『おそろし』が一番好きなので、自作を楽しみにしていた。
そして、本作品が第2作である。
いや、前作に劣らず、面白い。
過去に恐ろしい経験をしたおちかが、人の心(人だけではないが)の不思議を聞くことによって、それを背負う重荷を下ろしてあげようと始めた、不思議話の聞き集め。今回も四つの不思議が語られる。
巧みな人物造形によって、主人公のおちかの魅力は少しも損なわれることなく、魅力溢れる登場人物が増えてくる。今後も活躍を期待しちゃうお勝さん(ロマンスもあるかも)、浪人侍の青野利一郎(おちかとのロマンスはあるのか?)、偽坊主、いたずら小僧三人組など
単なる短編集ではなく、全体の構成の中でうまくその不思議語りが生きてくる構成、新たな登場人物の入らせ方など、もう感動シーンが満載なのだ。
はやくも次が楽しみだぞ。これで九つの物語が済んだので、残り91話か、ずっと続いて欲しいなあ。

Monday, September 20, 2010

音楽は楽しい

昨日は京都音楽博覧会だった。
20007年から始まったこのイベントに3年連続行っていたのだが、昨日は参加しなかった。
これまでいっしょに行ってた後輩のH君とチケット発売日前に、ことしどうするか話したのだが、お互い反応がやや薄かった。
出演ゲストの吸引力が二人にとってはやや弱かった。
遠藤賢司にはかなり引きつけられたが、チケット代金などと見比べると、ちょっとひるんでしまったのだ。
で、結局買わずに日がだんだん迫ってきたが、そうこうするうちに別の予定をいれてしまって、音博にはいかず。
その代わりに行ったのは、やはり音楽のコンサートだった。
次女の同級生で音校を今年卒業した近所の娘さんが、その卒業生同期生が集まって行うコンサートにお招きいただいたのだ。
音校生なのでクラシックばかりなのだが、3時間半全く飽きることなく、楽しい催しだった。
バッハ、モーツアルト、ベートーベン、ガーシュウィンなどの有名曲の他、ボクが知らない作曲家の作品まで。
編成もピアノ連弾、バイオリン、コントラバス、トランペットのアンサンブルや、弦楽、管楽器アンサンブル、歌唱までとにかく次から次へと若々しい輝く演奏を繰り広げるのだ。
バロック音楽なのにモダンなリズムを展開する曲、豊かなテノールを響かせる歌、コントラバスもバイオリンの仲間であることを今さらながら発見したソロ演奏(いや、ほんとバイオリンのように速く運指するのだ)
この年になっても発見に次ぐ発見で、いい一日だった。

The Like in I Love You

ブライアン・ウィルソンの新譜『リイマジンズ・ガーシュウィン』がもう素晴らしすぎてたまらないのだが、ひとつ気になった曲があった。
2曲目に収められた、タイトルの曲である。
このアルバムはガーシュウィンの曲をブライアンがカバーしているのだが、結構ガーシュウィンはよく聞いているボクもこの曲は全く聞いたことがない。
ネットで検索してもヒットしないし、おかしいなあと思ってライナーノーツ(英文)を拾い読みしてみると、この曲ともう1曲はガーシュウィンの未完成曲を、どうやらブライアンが完成させたもののようだ。(そんなことってあるの??)
そうだとすると、どうりで検索してもひっかからないはずである。
それにしてもこの曲、もうブライアンの曲そのものなのだ。
そして、これがまた泣けてくるようなせつないメロディーの曲である。(あまりガーシュウィンっぽくはない)
ガーシュウィンがどこまで作っていたのかはわからないのだが、このレコーディング企画のおかげでこの曲が世に出て、ボクらが聞くことができたわけである。
単純にうれしい。
二人の、アメリカが生んだ大作曲家にブラボー、なのだ。

Saturday, September 11, 2010

『文字をつくる 9人の書体デザイナー』雪 朱里

このところ書体デザイン関連の本を読んでいる。
たまたま朝日新聞で、ライノタイプ社(ドイツの世界的タイポグラフィデザイン会社)で欧文書体をデザインしている小林章さんの記事に目に留めたのがきっかけだった。
日本人からみたら外国語のアルファベットをデザインするっていうのもなんだか不思議な感じである。
そもそも、あらゆる場所で目にする「文字」は、普通は空気のような存在であって意識されることは少ない。
ボクは昔から書体やロゴに興味があったので人よりは意識していると思うけど、それでも普段はほとんどが素通りしてしまう。
人間社会に不可欠な「文字」を日々デザインしているひとたちにスポットをあてた本書は、彼らがどんな思いでまた、どういう作業をしているのか、その一端をのぞける。
日本語の場合、ひとつの書体をつくるのに数千文字をデザインしなければならない。
なので通常はチームで作業を分担して行うものらしいのだが、この本に登場する人の中には、ひとりで仕事とは別に地道にデザインしたケースもある。その場合数年〜10年ほどかかるのだ。
すきじゃないとできないだけではない、執念みたいなものも感じる。
どの文字も個性があって素敵である、ほれぼれする。
単なる明朝とゴシックだけではないのだ。

ボクが覚えているので、最初に文字のデザインを意識したのは、欧文書体のOptimaだった。
レコードの歌詞カードにこれが使われていたのだ。
構成する線の幅は均一でないし縦線も決してまっすぐでない、微妙なカーブと傾斜がついているのがなんとも優雅に見えた。
この書体をデザインしたのはヘルマン・ツァップである。書体デザイナでは巨匠である(最近知りましたが)
ツァップ氏と先述の小林さんのことは、『欧文書体2』小林章著 に詳しく書かれている。
興味があればそちらもどうぞ。

Sunday, September 05, 2010

電子書籍

先日Amazonの電子書籍kindleの新バージョンが発売された。
ついに待望の日本語に対応になったので、あとは日本語の電子書籍が出版されるのを待つばかりである。
ただ、出版についてはまだもう少し時間がかかるかもしれないが。

ボクも前バージョンのkindleを持っている。
日本語が読めるのはPDFだけなので、それなりに限定した使い方になる。
青空文庫からダウンロードした書籍を読むか、以外と便利かもしれないのは電子機器の取扱説明書をごっそり保存しておくこと。
もしくは、がんばって英語の書籍を読むかである。
確かに「便利」である。
大量の紙の本のはかさばるし、重い。
それがどんなに保存しても300gたらず。
しかし、その「便利さ」と引き換えに捨てなければならないこともある。
それは、装幀やフォント、紙質などのそれぞれの本の「個性」みたいなもの。
これは結構大きい。
まだ、実用書はいいとしよう。
取扱説明書は、使い方を調べるという目的が非常に明確なので「便利」なほうがいい。
ただ、文芸書や芸術書などの場合は、そういう個性を手放すのは寂しい。
人によっては「装幀やフォントなどに助けられることなく、純粋に内容で勝負すればいい」という意見もある。
しかし、ボクはそうではなくて、装幀や組版は「足りていない内容を補助する」のではなくて、内容をさらに上に押し上げるもの、または、本の印象を強く印象づけるためのキーなのではないかと思う。

音楽の世界では、LPレコードがあっというまにCDに駆逐され、さらにダウンロード時代へと移った。
本もこれと同じ道をたどるのか?
ただ、本が違うのは、本の本質である「文字」は直接送り手と読者をつなぐためのインターフェイスなので、それが与える影響はかなり大きなものである。なので、見た時の印象が内容をも左右することになる。

紙の本は、いくらAmazonやGoogle(あらゆる書籍を電子化するプロジェクトを実行中)ががんばってもなくならないと思うし、なくなってほしくもない。でも、出版業界がいままで以上に厳しくなるのは間違いなさそうである。
とりあえずボクにできることは、いままでのように本を買ったり図書館で借りてたくさん読むこと。
そしてどういう方向に進むのがいいのかを考えること。

Thursday, September 02, 2010

『サラの鍵』 タチアナ・ド・ロネ

いやーすごい話、一気に読み終えた。
1942年、第2次世界大戦中パリで起きたユダヤ人一斉検挙。
ナチスではなくパリ警察が、そこに住むユダヤ人10000人以上(女性や子供も多い)の検挙に乗り出した。11歳のサラは両親といっしょに警察に連れていかれたが、その直前に危険を感じて、4歳になる弟を部屋の秘密扉の奥へ隠した。
「すぐに帰ってきてだしてあげるから」と言い残して鍵をかけた状態で。
ところが、帰れるどころかユダヤ人達は大きな建物にひどい環境で押し込められた上に、子供と両親は別々にアウシュビッツへ移送されて、そのほとんどの人が帰ってくることはなかった。
フランスの汚点とも言うべきこの事件を調査することになった女性ジャーナリスト(アメリカ人)が、調査が進むにつれて驚くべき事実を知ることになる。夫(フランス人)の家族がその一件、しかも少女サラと深い関わりがあることがわかってくる。

前半は、1942年の事件をサラの視点で描く章と、ジャーナリストが過去の事件を調べる2002年の章が交互に描かれ、次第にふたつのはなしがつながっていく、その緊迫感が素晴らしいし、どうなるのかという興味が物語をぐんぐん引っ張る。サラの話は、これまでもTVや映画で取り上げられてきたナチスのユダヤ人への弾圧であるが、なんど見ても恐ろしくとても人間がすることとは思えない。その臨場感がありすぎて怖い。
事実をつきとめてからの後半は、その事実を知ったことで大きく人生が変わってしまったジャーナリストとその家族たちの生き方や考え方が中心に描かれる。こちらも面白いし、いろいろ考えさせられるのだ。
読み応えある1冊。