Pages

Sunday, November 07, 2010

『 昭和の爆笑王 三遊亭歌笑 』岡本和明

戦中〜戦後の混乱期に大人気を博した落語界の異端児、三遊亭歌笑は交通事故により31歳で亡くなった。
生まれついての、変な顔で悩まされもしたが、最後にはそれをきっかけに世に出ていくことになる。
しかし、やはり最後までそのことに対して大きな悩みを抱えていたことがわかる。比較的裕福な家に生まれたが、その顔故に家族の結婚式にもだしてもらえない。学校でもいじめられ、それに多いに不安と不満をいだき、何度かの家での末に三遊亭金馬の弟子になる。
この世界に入っても、顔に関わる悩みはついてまわり、あわせて訛りがひどく古典での道は断念。
そこで世相を切り取って詩と合わせる、新しい新作落語というか漫談?のような道で人気を獲得していくのだ。
根性というよりも、執念に近いもの(だけど時代からか飄々としたものも感じる)で、なんとか地位を確保していくのだ。

実はボクは落語にほとんど興味がないのだが、そうであってもひとりの人間の生き様としてとても面白い。
はねつけられても、しつこくついていく。だけど根性があるわけではなく、なんとなくすぐ弱気にもなるのだ。
そこでもう一度奮い立つのは、「そうだここでやめてもこの顔で元のみじめな生活には戻れない」という気持ちである。
最後もあっけなく、銀座で進駐軍のジープにはねられて即死。
なんとも壮絶な人生である。
彼の活躍が、後の林屋三平たちのスタイルを切開いた。

実をいうと、一番印象的だったのは、あとがきに書かれている坂口安吾の言葉。
以下に少し引用する。

そもそも、落語家が歌笑のことを邪道だというのは滑稽千万である。落語の邪道なんてものがあるものか。落語そのものが邪道なのだ。
落語は発生の当初は通でも粋でもなく世俗的なものだった。それが型として伝承するうちに時代的な感心や感覚を全部失って、そのために、時代的でない人間から通だとか粋だとか言われるようになった奇形児なのである。
粋とか通とかいわれることが、すでに大衆の中に生きていないことがハッキリした刻印なのだ。

ボクはこの言葉に納得してしまったのだ。

No comments: