先日Amazonの電子書籍kindleの新バージョンが発売された。
ついに待望の日本語に対応になったので、あとは日本語の電子書籍が出版されるのを待つばかりである。
ただ、出版についてはまだもう少し時間がかかるかもしれないが。
ボクも前バージョンのkindleを持っている。
日本語が読めるのはPDFだけなので、それなりに限定した使い方になる。
青空文庫からダウンロードした書籍を読むか、以外と便利かもしれないのは電子機器の取扱説明書をごっそり保存しておくこと。
もしくは、がんばって英語の書籍を読むかである。
確かに「便利」である。
大量の紙の本のはかさばるし、重い。
それがどんなに保存しても300gたらず。
しかし、その「便利さ」と引き換えに捨てなければならないこともある。
それは、装幀やフォント、紙質などのそれぞれの本の「個性」みたいなもの。
これは結構大きい。
まだ、実用書はいいとしよう。
取扱説明書は、使い方を調べるという目的が非常に明確なので「便利」なほうがいい。
ただ、文芸書や芸術書などの場合は、そういう個性を手放すのは寂しい。
人によっては「装幀やフォントなどに助けられることなく、純粋に内容で勝負すればいい」という意見もある。
しかし、ボクはそうではなくて、装幀や組版は「足りていない内容を補助する」のではなくて、内容をさらに上に押し上げるもの、または、本の印象を強く印象づけるためのキーなのではないかと思う。
音楽の世界では、LPレコードがあっというまにCDに駆逐され、さらにダウンロード時代へと移った。
本もこれと同じ道をたどるのか?
ただ、本が違うのは、本の本質である「文字」は直接送り手と読者をつなぐためのインターフェイスなので、それが与える影響はかなり大きなものである。なので、見た時の印象が内容をも左右することになる。
紙の本は、いくらAmazonやGoogle(あらゆる書籍を電子化するプロジェクトを実行中)ががんばってもなくならないと思うし、なくなってほしくもない。でも、出版業界がいままで以上に厳しくなるのは間違いなさそうである。
とりあえずボクにできることは、いままでのように本を買ったり図書館で借りてたくさん読むこと。
そしてどういう方向に進むのがいいのかを考えること。
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